初めまして。当サイトを運営している、ユウ@SealLoadです。私のことについて、少し紹介させていただきます。
出身地・住まい
東京都出身の下町育ち。現在は下町から離れ、都心部の閑静な住宅街にて、妻と子供と4人で暮らしています。
仕事の経歴など
20歳からフリーランスのITエンジニアとして活動開始し、23歳のときに起業しました。
様々な案件を請けてきましたが、そのすべてを書くと大量になりすぎるので、その一部を抜粋して記載します。
※社名や詳細については、守秘義務など諸々ありますので、敢えてザックリとした内容にしてます。
プログラマーとインフラエンジニアの兼業(10年)
プログラマーとして仕事を始めた当時。iMacというスタイリッシュなパソコンが発売された1998年。
液晶平面ディスプレイが当たり前の今からすると、信じがたいかも知れませんが、15インチのブラウン管と一体型のデスクトップパソコンです。
そんな時代だからこそでしょうか。プログラマーとしての作業だけでなく、インフラエンジニアとしての作業も同時に対応するのが当たり前でした。
- 通信業向け 精算システム開発
- 政府関連向け 通信システム開発
- 行政向け CMSパッケージ開発
- 小売業向け POSシステム開発
- などなど
インフラエンジニア専門(10年以上)
宮崎県知事が所信表明で言い放った「どげんかせんといかん」が流行語大賞となった2007年。インフラエンジニアの専門家へと転向しました。
プログラマーとしての仕事では、自身が設計から入る場合は良いのですが、既に要件定義や設計が完了している場合や、別の人が設計を担当されている場合、あまりよろしくない状況になることが多いことに嫌気が差したのです。
しかも何故か、インフラだけの案件を請けたほうが単価も高いという謎。
- 某就職系サイト メールサーバー全面刷新
- 某金融系システム インフラPM
- 某広告系システム 新規構築・改善(AWS)
- などなど
自分史・職務経歴編
ページトップにも配置した自分史は、前項で簡単にお話した私のフリーランスエンジニアとしての軌跡を18歳から現在に至るまで、月収、残業時間、獲得スキルなどと共にグラフや年表で整理したものです。
Illustratorなどではなく、エンジニアらしく(?)、全然作りやすくなかったですけどdraw.ioで作成しています。
年代ごとの項目について、以下に詳細を記載しておきます。
- 高校3年生
- 将来の目標
- 25歳までに起業する
- 30歳までに3億稼いで引退
- 将来の目標
- 18歳
- 住み込みの新聞配達と集金で生計をたてながら、廃墟のようなアパートで独学開始
- 新宿を歩いていたら、キレイなお姉さんに声をかけられる
- 気づいたら50万で英会話スクール入会
- スクールには情報処理(現在の基本情報)の教材もあり
- 追加費用なしだったのでついでに学習
- 内容は面白かった
- 結論:国家資格でこの程度なら、取っても意味ない
- 2年間でプログラミングやITに関する様々なことを1万時間近く勉強
- 主にゲームの製作
- 必要となるライブラリやグラフィックエディタ
- マップエディタなどのツール群開発など
- 開発言語はC言語とアセンブラ
- アルゴリズムやOS、コンピューターウィルス
- セキュリティ、クラッキング・ハッキングなど
- 20歳
- 面談で起業するつもりであることを正直に伝える
- 正社員ではなくフリーランス・プログラマーとして業務開始
- プログラマーとインフラエンジニアとしての両輪で作業するのが当たり前の時代
- これは駆け出し当初からずっと続く
- そして今回は、秋葉原を歩いていたらキレイなお姉さんに・・・
- 絵を買わないかということで・・・
- 欲しい絵を指差すと1000万
- 妥協して50万の版画を・・・購入
- 23歳
- C言語で書かれたとてつもなく巨大なシステムを運用・保守
- そして予定より早く起業
- 25歳
- 売上が急上昇
- 年収は1000万どころではない
- 月収も当然100万どころではない
- 28歳
- 方々から人材が欲しいとの依頼
- 自身も複数案件並行作業で更に売上増
- 売上1億円近くに
- 売上1億とか、意外と簡単にいけそうなんだなと思った
- 友人100名ほどに声を掛けただけで、営業事務やプログラマーなどが数名集まり雇用
- 自身は複数案件並行作業で月間300時間以上の労働
- スキマ時間で社員のフォローなどに追われる
- しかし、まったくの疲れ知らずで苦労感もゼロ
- 30歳
- インフラ専門に転向
- プログラマーとインフラエンジニアの両輪で作業
- しかし報酬は両輪分にはならない
- 加えて、プログラマーよりインフラエンジニアのほうが楽
- その上、報酬も良かった
- 31歳
- とにかく銀座のランチは美味しかった
- お気に入りは3500円のステーキランチと、3500円の串揚げランチ
- 要求される設計書などのクオリティはとても高かった
- その上、非常に勉強になったし楽しかった
- とてつもなくデキるプロジェクトマネージャー(PM)との邂逅
- プロジェクトマネージャーに興味を持つ
- 32歳
- インフラリーダーとしてジョイン
- インフラチームのあまりの惨状に愕然
- 依頼された訳じゃないけど、勝手にまずは作業の見える化
- 更に業務フローの適切化に着手
- いつの間にかコンサルと一緒になってマネジメント領域に
- 状況を良くするため、様々なことを考え、次々と実験的な施策を打つ
- インフラ・チームリーダーからインフラ・プロジェクトマネージャーに進化
- まずはチーム内を優先的に健全化
- 並行して外部プロジェクトとの関係も良好に
- チーム内外問わず、何事も楽しく、良く遊び、良く仕事をした
- ほぼ毎日飲み歩き、海や旅行なども
- 37歳
- 地元の居酒屋で出会った女性と話していたら、案件の提案を受ける
- 技術畑から、いきなりフリーのコンサルに
- しかし最悪のコンサル会社で、二度と日本のコンサルはやらん!と心に決める
- 38歳
- コンサルでそれなりに稼いだし、しばらくのんびり遊ぶことにする
- 友達の息子の夏休みの宿題を見てあげたり
- 毎日近所の居酒屋で飲んだりと遊び暮らす
- この頃、低画質の『ヒカルの碁』を毎日視聴
- 視力2.0なものの老眼が進む
- 後に、いつの間にか老眼回復
- 遊び暮らすこと数ヶ月。某有名・キラキラWeb系案件へ
- ここで初めてオンプレの呪縛から解き放たれ、クラウドの世界こんにちは
- なんでもっと早くSIer案件からWeb案件にしなかったのかと少し後悔
- 初めてAWSを触るも、1ヶ月もせずに自由自在に使えてる感
- 何これ簡単すぎる
- 41歳
- AWSにすっかり心酔
- もう他の案件は請けられない体に
- そして今も継続中
趣味・好きなこと
ゲーム
ノーゲーム・ノーライフ。ゲームがなければ今の私は存在しません。
ゲームが好きだったから、ゲームを作りたくてプログラミングを始めたし、数々の成長を遂げることができました。
ゲームから様々なことに興味を持ち、様々なことを学ぶことができたのです。
- ファミリーコンピュータ
- スーパーファミコン
- PCエンジン
- メガドライブ
- パソコン
- などなど
食玩シール
小学生の頃。大切に集めていたビックリマンシール100枚ほどをプラモデル屋に置き忘れて消失。
それ以来、本気で集め直すと誓い、購入して集めるのではなく、交換手腕を磨くことでコレクションを増やす術を獲得しました。
その結果、今でも様々なシールを2000枚ほど所持しています。
- ビックリマン
- ラーメンばあ
- ドキドキ学園
- 魔空の迷宮
- 妖怪道53次
- あっぱれ大将軍
- ネクロスの要塞
- などなど
投資
小学校4年生。親戚が小学校入学祝いに買ってくれた百科事典集(10万円ほどしたらしい)から、何を出題(例:「地球から月まで歩いたら何年かかって何歩で行けるか?」など)しても全部正確に答えてくる弟の友達に遭遇。
いつも鼻水を垂らし、物知りだったり頭が良いようには、とても見えませんでしたが、話してみたらとんでもない化け物。
そんな人の親はどんな人なのか。興味本位で聞いてみると、「株」という謎のものをやっていると言うのです。
その時の衝撃は今でも忘れられず鮮明に覚えています。食玩シールを交換手腕のみで増やしていた者としては、対象はお金だけど、そんな増やし方があるのかと。興味を持たずにはいられなかったのです。
まずは日経新聞を読むことから始めて、少しずつ少年は勉強していきました。
- 株式
- 仮想通貨
- 為替(MetaTrader)
- などなど
食べ物
好きな食べ物は、なんと言っても「肉」です。大抵のことは肉で解決できると思ってます。
そして、フルーツをあまり食べないのですが、ホントにいくらでも食べてしまうのが「メロン」。
ある時、メロンを志村喰いするのが面白いと言われ、どんどん食べろと勧められるがままに食べ続けたら、居酒屋のメロンをすべて食べ尽くし、お会計で10万超え。一人2万以上の出費に・・・。なんてことがあるほどにはメロン好きなのです。
そのため、SNSやブログのアイコンはメロンにしています。